古事記編 特別な存在「沼島」 「沼島 神宮寺」-No.13-

島を一通り歩き終え、沼島の宮司さんのところへお話を聞きに行きます。

皆さんへ「古事記」がただの古代歴史書ではないことをお伝えできれば嬉しいです。

沼島 神宮寺

島を歩き終え時刻は11時30分..沼島の宮司さんと出会ってから2時間ほどたちました。

前日に撮影していた沼島の「神宮寺」さんです。

ここは神社とお寺が1つになった場所です。

まなごん

先ほど「おのころ神社」あたりでお会いしたものです〜!宮司さま(ここでは宮司さまと表示します!)いらっしゃいますか〜??

すると..

宮司さん

おお来たか!..ずいぶん時間がかかったじゃないか。シャワー浴びてしまったよ〜

まなごん

すみません〜!山ノ大神社までいいってて..!ぜひお話お伺いさせていただきたく参りました!

宮司さん

本堂へ行って待っていて〜!!

本堂に上がり、仏様・神様にお参りを…

そうしていると宮司さんが椅子を持ってきてくれました!

宮司さん

遅いから何かあったか心配してたよ。流石にこの島で何かないだろうけど、もう少し経って来なかったら、沼島汽船へ乗って帰ったか確認するとこだった

まなごん

ご心配かけてすみません!結構奥まで行ってて..少し時間がかかってしまいました。

そんな他愛もない話から、少しずつお話が始まってきました。

最初宮司さんは体が悪いとのことで、話すのも大変そうかな?と思ってたのですが話し始めるとお互い元気になって話も弾みに弾む。

宮司さん

今日はなんだか調子がいいね〜!こっちへいらっしゃい。

そうして、本堂の隣の通路からさらに奥へあげていただきました、すると..

宮司さん

ここ神宮寺はね、有名な庭師が作った庭があるんだ。写真も撮っていいよ。

この庭を手がけたのは「重森三玲」さんという約100年前を生きた日本庭園史の研究家さんだそうです。

なんと重森氏は、京都の名高い庭がある「天龍寺」や「龍安寺」も庭の復元を担ったすごいお方だそうです!

これが重森さんが手をかけた庭だそうです..名だたる名刹の数々。
恐れ入ります。。

そのお庭がここ「沼島」にもあるというのが、すごいですよね!宮司さんオススメのアングルから写真を撮らせていただきました!

庭を眺める事も好きなので興奮です。

宮司さん

古事記の話の前に沼島についても話していこう

沼島と北海道(蝦夷)の繋がり

卓越した技術と気概を持つ「沼島衆」

宮司さんはいろんな資料を見せてくれました。

まず初めから度肝を抜かれます。

なんと、沼島水軍は「北海道(当時は蝦夷)」とも深い関係があったのです。私は北海道出身。なんとも運命を感じるというか、「まさか」の一言でした。

どうかこのブログが多くの人に見てもらい「沼島」や「日本人がなんたるか」を発信する事ができればと説に願います。

上記は「司馬遼太郎」さんの「菜の花の沖」という作品で沼島が描かれる部分をピックアップした資料です。

司馬遼太郎さんといえば、実際の歴史文献内容を取り入れつつ独自の観点を持って物語を描く有名な歴史小説家です。

そんな司馬さんが「民間人」を主人公とした珍しい作品が「菜の花の沖」だそうです。
まず上記資料内容をを要約します。

「沼島衆」について

「沼島衆ほど気概と高い能力をもっていた海の民は、稀なのではないか。」

※印「菜の花の沖」小説内容から要約抜栓

「沼島にバカはいない」と淡路本島の人々は言うが、
特に漁師や船乗り、兵庫の海商さえ「沼島衆」と言う語感に畏敬を込めることが多い。

沼島は小さい島だが、船や船具、操船、航海に独自の開発をするところが多く、
豊臣期からはるか対馬沖までに行って操縦する気概をもっていた。


島の近くの鳴門の瀬戸など潮と風と波と言う地球の機嫌の中で
最も厄介なものへの卓越した知識をもっていた。

世界中小島の住人は多いが、
沼島衆ほどに気概と高い能力をもっていた海の民は稀なのではないか。

と、司馬遼太郎の「菜の花の沖」で「沼島衆」とは卓越した技術と勇ましさを兼ね揃えた精鋭であると敬意を込めて書かれているのがわかります。

沼島と蝦夷の関わり

北海道の繋がりは江戸時代後期です。

当時、未だ把握できていなかった蝦夷地(北海道)への調査と開拓を幕府より任せられた近藤 重蔵」と「高田屋嘉兵衛」を蝦夷に連れて行った一員に「沼島衆」がいたのです。

重蔵が如何に沼島衆を重要視してたかが伺える一説。嘉兵衛が北の大地からさらに「国後」の調査を行うことになりました。その時、重蔵は幕府の官船「宜温丸」と沼島の船頭「海原源兵衛」「水主源之助」「勘右衛門」「定吉」「八郎門」達を一時的に船の一員として譲ったそうです。

しかもすでに決まっていた「宜温丸」の乗組員の一部と入れ替えで、対応したとのことです。

この対応から重蔵が沼島衆への技術・知識・能力を高く評価していたのが伺えます。

北の大地、未開拓の土地への文明的大きな第一歩を推し進めた歴史の裏には淡路島の小さな島の住人「沼島衆」が存在したのです。

「沼島の石」の秘密

大王古墳に使用される沼島の石

続いてこちらの資料を見せてもらいました。

真ん中が「沼島」の石だそです

こちらの資料を要約しますと「沼島」から採れる「石」が古代の邪馬台国〜大和政権にかけての王族古墳や、最大クラス「大王古墳」などにも使用されているとのことです。

「え?それって何がすごいの?」と思うかもしれませんが「沼島」で採れる石の種類は「緑泥片岩」と「紅簾片岩」と言われる2種類だそうです。

この岩ですが同じものは、和歌山県などでも同じものが採掘できるようで、奈良・大阪などへの運搬も考えるとわざわざ運搬に労力がかかる沼島の石を使用すると言うのは、何か理由がある。

資料はそう語ってます。

さらに使われ方にミステリーが存在するようです。

沼島の石の使われ方ミステリー

わざわざ大王古墳や王族の古墳に、遠くの小島「沼島」の石をもってきて使用するなら、さぞ重要なポイントに使うのでは..と思いますが、資料に以下のようにあります。

沼島の岩はあまり目立たない使われ方をしている、竪穴式石室の何百枚とある壁の石の数点に使用されている」

そう資料にはありました。

奈良や大阪でも石はもちろん採掘はできる中、象徴的に数点だけ、わざわざ「沼島」の石が使われる理由。それは「おのころ島」神話の地が沼島であり、その「石」は別格だった..ということではないでしょうか?

資料はこうも書かれていました。

古代の人は「石」を精神的に大切にしていたのではないか?

だとすれば遺体のすぐそばや頭の部分などに「沼島の石」が使用されているかもしれない。

石の分析が今後発達して使用集中箇所が断定できていけば、古代人の特定の場所に対する精神性が「石」によって分かるのでは..と筆者も語ってます。

私も古代人は、今より遥かに「自然」に対して「敬意」をもっていたと感じます。古代の人ならば「神がはじめに降り立った神聖な島」の「自然物」へは特別感を抱いてもなんら不思議ではないと思います。

沼島地層を読み解く

宮司さん

重要人物の古墳にも使われる「石」からも分かるように、沼島は古代より「神聖な土地」としての認識があったんだよ。

まなごん

ここ沼島が「おのころ島」と言われるような特別な場所であることは、古代から共通認識だったと言うことですね。

宮司さん

それともう一つ、面白いことが地層で分かるんだ。

宮司さんがおっしゃってた地層の話です。

沼島の地層を見ると分かるとのことですが、沼島は「日本の中でも古代からあった地」だそうです。

何かと言うと、日本列島は北は北海道、南は九州までの島国で形成されてますが、多くは長い年月をかけて海に削られ今の形になった島だそうです。

しかし「沼島」は地層からも海で削られてできた訳ではなく、古くから現在の状態で存在していたとのことです。

古事記神話で「淡路島が日本で一番はじめに生まれた島」であること、そして「沼島」がその国生みを開始した「始祖の島」であること、これらの伝承は太古の昔より変わらずに初めから存在した「島」であったことからも、伝説となった要因の一つではないかと言うことです。

これらのお話をお聞きして感じたのは「おのころ島」伝承の地は、やはり「沼島」であるのではないかと言う私の見解です。

伊奘諾神宮と沼島水軍の関わり

さらに、1つ考察です。

以前、No6にて「伊奘諾神宮」の境内に伊奘諾神社を中心とした太陽の登り沈みの軌跡の先に、堂々たる由緒ある神社が健在する謎について語りました。

古代の人が地図も方位磁針もない状態で、なぜここまで正確に神社を建てることができたのか。

ここまでお話を聞くともはやこの偉業は「沼島水軍」が活躍した他ならないと思います。彼らは古くから高い航海技術をもっていたことを考えても、神社の各地創建についいてもきっと彼らが国と関わりながら文明作りを担っていたと考えてもおかしくないです。

「沼島」は古代から神話としての神聖重要な場所であると共に、そこに住む人々も政治・国にとっても重要な存在だったのではないでしょうか。

沼島=おのころ島伝説 要点まとめ

宮司さんにお聞きした「沼島」の秘密をまとめます。

沼島=おのころ島説のヒントPOINT

1.沼島は地層からも、どの日本列島の島よりも古くから存在している島

2.邪馬台国〜大和政権下での王族・大王の古墳に「沼島の石」が用いられている(資料や研究の実例あり)

3.沼島の人々は古代より海路に明るく、高い航海技術を持っており国や政治に貢献していた。(沼島八幡神社の資料にもあった、京の都を防衛するなど国政とも深く関わり有)

何か、「古事記」の秘密が見えてきた気がしませんでしょうか..!

そして続けて宮司さんのおっしゃってた「古事記」がただの歴史書ではないと言う話も次回書いていきます!!

〜No.13〜

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