古事記編「今」この時を大切に「淡嶋神社」 -No.4-

2020年6月27日 8時30分 

いよいよ古事記旅スタートです。熊野本宮大社を後にして和歌山県加太の「淡嶋神社」へ向かいます。
淡嶋神社へは車で約3時間ほど。南紀田辺IC〜和歌山ICまで高速道路を使い向かいます。

まず今回の旅の目的「古事記 国生み」について、簡単に説明します

古事記 国生み場面

私の歩く古事記「国生み」のお話

日本最古の書物と伝わる「古事記」では、日本は「イザナギ」「イザナミ」という性別がある男女神が創造したとされてます。2神は天上の神々より「未だ混沌とし漂っている地上の国土を固めよ」と国生みを命じられ「天の沼矛(あまのぬほこ)」を与えられました。

2神は高天原(天空)の「天の浮き橋」という場所に立ち、天界から矛を地上へ突き刺し、漂う潮を「コオロコオロ…」とかき混ぜました。すると矛の先から滴が落ち凝り固まり「オノゴロ島」が誕生。

出典feelingmagic.com

「オノゴロ島」に降り立った2神は「天の御柱(あめのみはしら)」の周りをめぐり、夫婦の契りを結びます。しかし、その際、女神であるイザナミから男神のイザナギへ声をかけてしまったことで、骨の無い不出来な子「ヒルコ」が誕生してしまったため、その子は葦の船に乗せて海に流しました。その次に生まれた子も泡のような儚い島(アハ島)だったのです。(この泡のような子は子供として正式に入れられてなく、謎が多い。。)

なぜ、きちんとした子供ができないのか….。

天上の神々に相談したところ「男神から女神へと声をかけてみよ」とのアドバイスが。その通りに仕切り直し子作りを行うと今度は次々に島が生まれ、「大八島」となった。

この「大八島」の中でも最初にできたのが「淡路島」である。。

これが、「古事記」の冒頭の話です。私が、この冒頭ゆかりの地を実際に歩いてみて感じたこと、発見したことをこのブログで紹介していければと思います!

淡嶋神社との「ヒルコ」の関係性

さぁ…まずはじめに行く「淡嶋神社」。ここは伝わる由緒としては「スクナビコナ」という神様が祀られているとされてます。「スクナビコナ」は小さな神様で、出雲大社の主祭神の「大国主」とともに地上界の国作りに協力したとされる「産業(医療・酒造・穀物・知識)」の神様とされてます。

一寸法師のようなサイズ。。。

また「淡嶋神社」ですが一説にはイザナギとイザナミが2回目にできた「泡のような子(島)」を祀るともされています。

しかし…私はどうもこの神社に「ヒルコ」が祀られているのでは無いか…と不思議と感じるところがありました。それは気になる以下POINT!ここからは完全に一個人の考察ですので、ご了承くださいませ・・・。

淡嶋神社は…実は「ヒルコ」を祀る場所?

まなごんの考察

①「ヒルコ」は「西の摂津」に流れ着き、漁師にひろわれ祀られたとされるが「西の摂津」は「大阪府北中部の大半、兵庫県南東部」を指すので加太周辺も範囲内であるという事。

②「オノコロ島」から子を船に乗せて流した場合「海流の流れ」的に友ヶ島(加太周辺)に流れつく可能性あり?!

③淡嶋神社の年中行事で「雛流しの神事」「船に人形を乗せて海にながす」という神事がある。

まず、引っかかったのが上記の3つ。中でも説が曖昧で「西の摂津」へ流れ着いたとされますが、範囲が広い上に、重要ポイントですが「潮の流れ」を考えると「和歌山」方面に行き着く可能性が高いのでは…と考えました。(完全に好き放題の考察…ご了承くださいませ…)

以下、潮の流れのイメージです。「おのころ島」とされる候補地はいくつかありますが、おそらく…淡路島周辺である可能性が高いと考え今回は「絵島」「沼島」の2箇所とします。そうしますと。。。。

まずこのように潮の流れは大阪湾時計回りの潮の流れをしています。この地図上で「オノゴロ島」と「淡嶋神社」がどこにあるのかと言いますと….

赤い丸で囲ったとこ「沼島」「絵嶋」が「オノコロ島」候補地です。ちなみに…「友ヶ島」ヘはこの潮の流れもあり都会の「ゴミ」が「友ヶ島」へ流れ着くそう。オノコロ島候補地から何かを「流した場合」回り回って、加太(友ヶ島)周辺に着く可能性が「高い」のでは無いでしょうか?

ちなみに…淡嶋神社は元々「友ヶ島」にあったとされます。当時、仁徳天皇が友ヶ島に行った際に、友ヶ島だと何かと神様も不便ではなかろうか…?と今の和歌山県の加太へうつされたそうです。もしかするとやはり「ヒルコ」は友ヶ島へ流れ着いていた….?

そもそも「神話」…ここまで現実と照らし合わせても..と思いますが、想像する分には許される…?

そして、③の淡嶋神社ならではの神事「雛流し」。船に人形を乗せて流す…という神事ですがこれは「ヒルコ」を船に乗せて、海に流した..という描写を思い出しませんか…?

何より…「人形供養」の神社という事ですが、いつから「人形」を奉納するようになったのか。人形と言えば子供のおもちゃ。数千年前、もし「ヒルコ」が人間だったならば、既に亡くなってしまっている状態かと思われます。当時海から流れ着くものは神からの貴重なものとされることがあり、その亡骸を漁師が拾い、祀った…そしてその魂を慰めるため「人形」や子供のおもちゃを奉納し、時が流れいつしかそれが「人形供養」と形を変えたとすれば…どうでしょうか。

不思議と、何か繋がる気がします。とにかく、実際に行って確かめて見ようと思い立ちました

ので、正式には「ヒルコ」を祀っているとはされていない「淡嶋神社」ですが..行って見ましょう!

淡嶋神社について

人形供養の神社「淡嶋神社」

<12時30分>デデン!!つきました!「淡嶋神社」です!

はじめに、簡単に神社の由緒をご案内。

淡嶋神社の由緒

〜淡嶋神社ご祭神〜
少彦名命(すくなひこなのみこと)
大己貴命(おほなむじのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)

〜淡嶋神社の起こり〜
その昔、神功皇后が三韓出兵からお帰りの際、瀬戸の海上で激しい嵐に出会いました。
沈みそうになる船の中で神に祈りを捧げると、お告げがありました。
「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めよ。」
その通りに船を進めると、ひとつの島にたどり着く事が出来ました。その島が、友ヶ島です。

その島には、少彦名命と大己貴命が祭られていて、皇后さまは助けてくれたお礼の気持ちを込めて、持ち帰ってきた宝物をお供えになりました。
その後、何年か経ち、神功皇后の孫にあたられる仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来られ、いきさつをお聞きになりました。そこで島では何かとご不自由であろうと、お社を対岸の加太に移され、ご社殿をお建てになったのが、加太淡嶋神社の起こりとされています。

ー淡嶋神社 公式HP引用ー

ご利益は、縁結び・恋愛成就のパワースポット、そして婦人病や安産祈願など、女性の祈願スポットとしても有名とのこと。境内奧には参拝者がパンツを奉納して帰る珍しい神社となってます

無数の人形が境内に飾られている、そして女性の「パンツ」を奉納…この時点でなかなかのインパクトを受けます。。。そして筆者は、見えはしないのですが多少感じる体質な為…申し訳ないのですが行く前は写真をみてちょっと怖いな…と正直感じてしまっていました。(何かを感じてしまったら…どうしようかな..と)しかし、一見は百聞に如かず。行って見なければ何もわかりませんので、少しだけ勇気を出して訪れて見ました。

いきなりの衝撃のキーワード

境内へ入る前。入り口すぐです。む!!!!!!!!!

主祭スクナビコナさんのお仕え(眷属)ガマガエルの像が。。。みなさんお気づきでしょうか。私はすぐに気づきました。ガマガエル。蛭子……..。この漢字見覚え無いでしょうか。ヒルコもなんと

蛭子(ヒルコ)と書くのです。

これは偶然なのか?いや。必ず歴史的にも糸引くものがあるはず。この世に、一つたりと偶然は存在しない、必然でしかないはず。そもそも、ガマガエルを「蛭子」と書く。これは…一体。

ちょっと…ぞぞっとしませんでしょうか…?(しないか笑)私はこの時点でかなり興奮してました。(一人で)そして決して乗ったりしません!!と心の中で叫びました。

巫女さんに聞いたところ、このダルマは選挙の時に使われたものを政治家が持ち込んだそう..なるほど〜

境内は噂通り!すごい数の人形たちが並べられていました。本当に圧感の光景..わ〜すごい数だ…!

外だけでなく本殿の中にもずらっと雛人形たちが!劣化があるものや古いものは中に入れているそう。

来る前は「少し怖いなぁ…」と思ってましたが、不思議です。実際に境内を歩くと全く怖くありません。むしろ境内で人形が癒されているのがわかるほど、優しい雰囲気を感じました。なんとなくこの人形たちは供養されて、神様の「眷属」としてお手伝いしている?のかなぁと思うくらいです。

境内を散策すると…少し隠れた場所にはちょっと強面のお面も供養されてました。流石に強面だから裏手にされているのかな・・・?

境内に二箇所、ご利益のある水も湧き出していていました。(奥にカニさんもいて可愛かった)

さらに奥へ進むとお稲荷さんもいました。ちなみに「パンツ」の奉納ですが昔は女性の下着が境内に袋に入れられて括り付けられていたそうですが、今はきちんとBOXに入れる形になっており、また撮影も禁止となってました!女性としてはそのほうが安心です。。(写真をとられたら嫌ですもんね)

そして蛭子(ガマガエル)さんの祀られている遷使殿(せんしでん)がありました。ちなみに境内に蛭子さんはかなりいっぱい置かれています。

ちなみに「人形供養」の神社。この本殿前に置かれるトレーに供養したい(奉納する)人形を入れ受付をするそうです。私が撮影した後から、どんどん人形をが入れていかれます。「子供の頃はありがとうね」「お世話してくれてありがとう」など、いろんな人がここで人形へ感謝の言葉や、人形と最後の撮影を行なってトレーへ置いていってました。人形にとっても、ただ捨てられてしまうより、こうして神社で癒されて最期の時を過ごすというのは良いかもしれません。その人と人形との過ごした時間を考えるとなんとなく切ないような、不思議な気持ちになりました。

ちなみに、人形は「仏滅」の日を除く、午前9時〜午後4時まで引き取ってもらえるそうです!また過去郵送も受け付けていたそうなのですが、郵送時に付いてくる梱包の処理がかなり大変だったようで、現在は供養受け付けは「完全持ち込みのみ」となっているそうです!

淡嶋神社の巫女さんから伺った素敵なお話

御朱印をもらうがてらに、私の疑問でもある「ヒルコ」との関係性をズバリ、聞いてみました!

まなごん

あの…お聞きしたいのですが、この神社は古事記で登場する「ヒルコ」とは関連性はあるのでしょうか…?(ドキドキ)

巫女さん

当社の御由緒は「スクナビコナ」様をお祀りしていると伝わっておりますので、「ヒルコ」とは関係はないです。ですが一説にはイザナギとイザナミの第2子の「泡のような子」が流れ着いたとも聞くので、そう思えば「兄弟」という点では接点がありますよね。

まなごん

(きっぱり関係ないと言われてしまった..当たり前だけど由緒通りの内容…この神社のことをもっと聞いてみようかな) ちなみに、人形が飾られるようになったのはいつ頃でしょうか?

「ヒルコ」については、由緒としてはその事実はない、と…なんとなくきっぱり言われてしまったのですが…(笑)ここから話を少しずらして「人形」について聞いてみました。人形が境内へ飾られるようになったのは実は最近のこと、約30年前ほどのようです。

当時の宮司さんが、それまでは預かった人形は表に出さず供養した後、お焚き上げしていたのですが「人形は人にみてもらってこそ幸せだ、これこそ供養になる」という粋な計らいで、現在のように境内へ飾るようになったそうです。

ちなみに..境内へ飾る人形も「神社」ということで景観を崩さないよう選んでいるそうです!なので雛人形や和人形など日本由来の人形が多く飾られているんですね。長いものでは10年ほど飾っているものもあるそう!古くなって朽ちてくるとお焚き上げを行うそうです。

また雨や台風がくるときには、神社の関係者様が一生懸命人形が壊れないようにしたり、正月には1体1体丁寧に掃除をして手をかけて大事にしているそうです。大変な作業であるのは聞いているだけでも伝わりますが神社の方々によって人形が大切にされているのは本当に感謝すべきことだと感じました。

江戸時代に徳川のお姫様が雛人形を奉納したのが、人形奉納の始まり..とされているようで、初めは数も多くなかったそうですが時が経つに連れて数多くの人形が奉納されていったそうです。

私としたことが…この時「なぜ人形を奉納したのか?」と聞けばよかったのですが…別の話をしたため、この重要な質問を失念!!帰りに明日電話しようかな…などモヤモヤ思いつめました。。。

しかし、淡嶋神社の関係者の皆さんの努力や真心あってこその「人形供養」。これはいろんな人へ伝えていきたいありがたいお話でした。

神様へ聞いてみる?!

巫女さんからは…「ヒルコ」についての手がかりは残念ながらもらえず…。(もらえる方がすごいか..!)ならば。神様へ直接聞けばいいじゃないか!!と一人、「運試し」?をしてみることにしました。

もう、我ながら狂った状態でしたが、聞き方はシンプル。私の考察「この淡嶋神社に実は「ヒルコ」が祀られていた」が正しければ「大吉」をください!!!!!!と強く念じ、いざおみくじ。

と!!!!!!!!でた大吉!!!!!!!(おおっ!)

これは…これはそういうことなのでしょうか?!と、もう狂いっぱなしの私でした願望「思いのままに」。どうでしょう…か!笑

淡嶋神社 優しい神様の魅力

私は由緒に反して、ここに「ヒルコ」が流れついたのではないか。と考察をしてましたが、やはり数千年以上前の歴史の真実は今となっては、はっきりさせることは不可能です。

しかし、境内を歩きながら神様の使いとされるのが「蛭子(ガマガエル)」だったりと、やはり偶然ではない「何か」を感じたのは確かです。

それともう一つ。巫女さんとのお話のなかで船に雛人形を乗せて海に流す」神事について、気になった一説がありました。何故「船で流すのか?」ということをお聞きした際、「海に流す」というのは「厄を流す」という願いがあるということです。

ふと…繋がったこと。

それは古事記でイザナギとイザナミが不出来だったとしても自ら産んだ子供を海に流すというのは、正直子供が哀だな..と感じていました。しかしこの話を聞いたときに、イザナギとイザナミは子供を単に「海に捨てた」というのではなく、古代の人の考えで今後生まれてくる子供の為、何より不出来に生まれて来てしまった子供の「厄」を流すという意味合いで、「葦の船にのせて海に流した」のではないかと。

そう思うと見え方がガラッと変わります。古事記は数千年前、いや伝承はもっと古代の話です。今の私たち常識とは異なって当たり前。古代の人はより「目に見えないもの」を信じ大切にした。そういった儀式の一貫だったのではないか。と思ったのです。

そう思うと、イザナギとイザナミ、今は古事記では神として語られてますが、もしかすると彼らは古代の権力者で「人間」だった可能性もあります。同じ人間として、親として子供が上手くできないことに悲しみ、そして愛情を持って弔ったのかもしれません。

もしも「淡嶋神社」がその子が祀られていた場所であれば、今こうして多くの人が訪れ人形を奉納し、参拝したりその子は神様として愛情を持って祀られ幸せだと思います。そして私たちを暖かく見守ってくれているのかなと…ふと感じました。

なんだか、最後は神様に「真実は重要ではない。今こうして人々が幸せであるならばそれで良いのだ」と言われている気がしました。今となってはもはや真実はわかりません。今を生きる私たちが少し歴史に思いをはせて、ここまで神社を支えてきてくれた人々に感謝する。それだけで十分だと…なんだかそんな気持ちなりました。

そんな優しく人形たちを癒し、人々を見守る優しい神様がここ「淡嶋神社」にはいる気がしました^^

う〜〜〜でも、欲を言えばもう少し何かヒント欲しいなぁ〜〜なんて欲張りなことを考える私でした。

さ!次は、由緒で正式に「ヒルコ」を祀るとされる神戸「えびす宮 総本社 西宮神社」へいってみます!もしかしたら「淡嶋神社」と何か繋がることがあるかも…と期待しつつ。。。

人形供養・縁結びの和歌山県 加太にある「淡嶋神社」 公式HP >>http://www.kada.jp/awashima/

<所要時間約30分程度>奥に多少階段の上り下りがありますが淡嶋神社境内は不可なく回れます!是非一度訪れて見てはいかがでしょうか。

 所在:〒640-0103 和歌山県和歌山市加太118 

〜No.4〜

続く….!

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